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2021/01/15鉱炉にふるふ鉄液のうた

鉱炉にふるふ鉄液のうた

人類の歴史は、石器時代―青銅器時代―鉄器時代と3区分があり現代につづいている。

鉄は、地球上に多量に存在する金属の一つである。古代オリエントで人類の前に出現し、日本では弥生時代に、青銅とともに中国を経て渡来したと言われている。

鉄の活用が金・銀・銅などの存在量の少ない金属におくれたのは、鉄は酸化物の鉄鉱石(てっこうせき)として存在し金属単体として採取することができず、鉄の製錬(せいれん)が難しかったからである。

鉄の融点(ゆうてん)は摂氏約1500度と銅の約1000度の温度とくらべて高くて、古代においては半溶融(はんようゆう)の不純分の多い状態の鉄しか取得することができなかった。そのため古来の製鉄法は、鉄鉱石と木炭を燃料として1000度位に加熱還元(かねつかんげん)して得た海綿状(かいめんじょう)の鉄を、さらに槌(つち)で叩いて不純物(鉱滓:こうさい)をしぼり出した錬鉄(れんてつ)を生産し、鋳物用(いものよう)などには再度これを溶融(ようゆう)して活用していた。

鉄の製錬(せいれん)には高温が必要であり、大量の燃料と送風が必要であった。そのために各地各様の製鉄法が生まれた。日本のたたら製鉄法もその一つである。

15世紀に欧州で画期的な製鉄法である高炉が発明された。耐火レンガで高い炉を築き、鉄鉱石と木炭と石灰石などの溶剤(ようざい)を入れて、水車動力でふいごを使用し通風し、炭素2%以上含み1200度近くに融点を下げた銑鉄を液状として出銑口(しゅっせんぐち)から連続して何回でも生産できる方法を実用化したのである。この方式により史上はじめて鉄の大量生産が可能になった。この製鉄法の普及に伴い産業化が進む反面、木炭使用量が増化して森林資源の枯渇(こかつ)がはじまるが、18世紀になって石炭をむし焼きにしたコークスを用いた現在の高炉製鉄法(こうろせいてつほう)になった。蒸気機関の発明により送風機、ポンプなどの機械化も進んだ。

銑鉄(せんてつ)から炭素分を調整し、強靭(きょうじん)な鋼(はがね)を作る技術も反射炉(はんしゃろ)、転炉(てんろ)などの改良発明が続き真の鉄器時代となり道具から機械への産業革命がはじまるのである。

日本の産業革命が黒船来航の状況下での鉄製大砲の鋳造(ちゅうぞう)や大型船の建造が契機(けいき)ではじまった。

当時の志士たちは、幕末期には欧米列強に対抗するため、蘭書をもとに試行錯誤の挑戦をはじめ明治期には西欧人を国内に招き、さらに、日本人が出国して直接技術導入し、日本古来の技術を融合した産業基盤の確立を目指した。その結果、西欧で200年要した産業革命の時間を約50年で達成したのである。

 

釜石の夜のそら高み熾熱(おきねつ)の

                        鉱炉にふるふ鉄液(てつえき)のうた

 

詩人・宮沢賢治が大正元年に花巻から釜石を訪れた時に詠(よ)んだものである。賢治は、日本初の高炉から出銑した鉄を鉄(・)液(・)と、また使用したコークスの熱を熾熱(・・)と表現している。

釜石における日本の産業革命の夜明けを賢治は詠んだのであろう。

 

産業遺産情報センター

主任研究員 小野崎敏

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