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2023/05/09【終了しました】令和5年度第1回講演会 6月14日(水)開催 「重要文化財『旧グラバー住宅』の歴史と人間像」

産業遺産情報センター主催の講演会(参加費無料)のお知らせです。

来たる6月14日()14時~16時(質疑応答含む)産業遺産情報センター会議室(新宿区)にてハイブリッド式(対面式およびZOOM)で講演会を催します。講演会へ参加を希望者される方は、[email protected] にメールにてお申込みくださいませ。

なお、センターでの受講者数は20名です。ZOOMでの参加者数の制限はありません。


【講演概要】 

演題: 「重要文化財『旧グラバー住宅』の歴史と人間像」(日本語)
講師:  ブライアン・バークガフニ氏 (グラバー園名誉園長)
プロフィール: 
1950年 カナダ・ウィニペグ市で生まれる
1972年 来日
1973年~1982年 京都の妙心寺専門道場等において禅の修行を積む
1982年   長崎市に移住
1985年 長崎市嘱託職員に就任
1992年 外国人として初めて長崎県民表彰受賞
1996年~2023年3月 長崎総合科学大学教授に就任
2007年 博士号(学術)取得
2016年 「2016年度長崎新聞文化賞」受賞
現在 長崎総合科学大学名誉教授、フライング・クレイン・プレス代表、グラバー園名誉園長
著書多数

講演内容
: スコットランド人の事業家、トーマス・B・グラバーの旧邸である旧グラバー住宅は、文久31863)年に建設された当初から、長崎居留地でもっとも美しく立地条件の良い建物であり、まるで貿易と国際交流をつかさどる新時代のお城のようであった。
  グラバーは、茶、樟脳や木材など九州地方の産物を輸出し、布類、香辛料や鉄材など様々な一般物資を輸入した。また、中古の蒸気船を香港などで入手して日本で販売するようになり、より大きな利益を得ていた。ビジネス成功の背景には、彼の日本語学習や日本文化への関心、また居留地の垣根を超えた人的交流があった。慶応年間から明治初期にかけて、グラバーは薩摩藩の五代友厚をはじめとする志士たちと協力して、修船場、製糖工場、炭鉱などの近代産業の導入に貢献した。
 グラバー商会の倒産と債務整理を経て、グラバーは三菱の顧問として東京に移住し、長崎にいないときは駐長崎英国領事などに自宅を貸し出すようになった。明治441911)年にグラバーが亡くなる前に、長男の倉場富三郎とその妻ワカは入居した。しかし昭和141939)年、太平洋戦争を控えた緊張感の中で、三菱長崎造船所に土地と建物を売り渡した。ワカ夫人が戦時中に他界すると、富三郎は天涯孤独となり、戦後直後に自らの命を絶った。
 昭和201945)年9月、連合国進駐軍が旧グラバー住宅を接収。最後に住宅として利用したのは、海兵隊のジョセフ・ゴールズビー大尉であった。旧グラバー住宅に「マダム・バタフライ・ハウス」(蝶々夫人の家)という気まぐれなニックネームをつけたのは、ゴールズビーの妻バーバラである。
 進駐軍の退去後、三菱長崎造船所は旧グラバー住宅の所有権を取り戻し、昭和321957)年、同造船所の100周年記念として長崎市に寄贈した。長崎市はその翌年に一般公開した。昭和361961)年、旧グラバー住宅は国の重要文化財として指定され、同491974)年にオープンした観光名所「グラバー園」の目玉となった。
 平成272015)年に世界遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産のひとつである旧グラバー住宅。今後、日本最古の洋風建築という重要性だけでなく、日本の近代化と長崎の経済発展に貢献したグラバー親子が住んでいた建物として、その真実がますます注目されることを期待する。

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【応募要項】応募先は、[email protected]です。①お名前②メールアドレス③連絡先電話番号④対面ないしはZOOMを明記の上、メール送信くださいませ。当日の案内等は、発信元のメールアドレスにお知らせします。受講料は無料です。

【注意事項】利用メールアドレスについてのお願いです。携帯メール (@docomo; @softbank; @ezweb等)はセキュリティ設定のためか「配信不可能」になる場合がほとんどです。その他のメールアドレス(例:ウェブメールの @yahoo; @gmail等)をご利用いただけますようお願い申し上げます。

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